コメントが欲しい、の盲点2006/03/17 12:20

っていうか、見落としがちじゃないかと思うことなんですけども。

コメントや反応がなくて寂しいってのは、世の中少なくない、ブログやWebサイト主が思うとこでしょうけども、人からコメント欲しいって思う前に、自分が読み手だった場合の話って、どうなんかなと。つまり読み手から見た場合の、コメントを書く側の手間や心境などって考えられてるのかなぁ、っと。

実際に自分自身で、それまで見ず知らずの方のブログを見て、ちょっと面白い・なにか共感できる、もしくは反論があるという記事にたどりついたとします。さて、そこでどれだけの人が、その気持ちを、行動に移せるんかいな?と。

自分がそうなんですが、ある記事を読んで、おもったり感じたりすることがあっても、うまくまとまらなかったり、書くほどでもないかなぁって、思い直したりして「えいっ、めんどクセ ・⌒ヾ(*´_`)」ってな感じで、そのままなかったことにすることが数多く。

つまりコメントってものも、それなりに相手に負担というか、気力というか、手間をかけさせるもんだと思うのですよね。実際自分で書こうとすると、わりとめんどい。まぁ相手が知古で、気心がある程度知れた仲ならば、日ごろの雑談のように軽く書けることもありますが、やはり初めてとか、今までの大半をROMしてた相手には、ある一定の礼儀を…って思いますし、書く内容も、どれくらいまで許されるのか気を使う。ここら考えると、絵にしろブログにしろ、感想・コメントなどの反応をクレクレって言うのもなぁ…って感じに。

ここらの手間や気兼ねを軽減させるものとして、Web拍手や簡易メールフォームなどがあると思いますが、なんにしても書(描)き手に言えることは、訪問者が、そういうコメントの類を書くことに対する、「負」の要素(抵抗)を乗り越えて、それでもコメントの類を書きたくなるようなモノ(記事の内容と場の雰囲気)を、作りあげることが肝心じゃないかな、と。

まぁ、なにはともあれ、ぼちぼちと。コメントという結果を先に求めるよりも、結果的にコメントが付くような、そんなものを。

#狙うと、外した時のダメージがデカいですし(苦笑。

コメント

_ すがり ― 2006/03/24 21:10

僕のように何も読まずにコメントする人もいます。

_ だい(Dai) ― 2006/03/24 22:47

どもです。

 うーん、「何も読まずに」とありますが、コメントの話に対してコメントしてるのは、内容に少し触れている気がするんですけども(重箱の隅。

 言葉をそのまま取るとして、やはりそういうコメントをするときって、どんな気持ちなのかな?と、まぁそこらへん、ブログを書くほうとしては興味があります。
 なにが、コメントをつける動機になっているのか?ってところでしょうか。自分だと、ちょっと内容に触れない、もしくは内容を軽く含んでいるものの、挨拶程度のコメント、ってなると、知り合い同士のじゃれあいのようなものしか、ちょっと考えつかないもので。

_ 通り ― 2006/03/26 02:44

場末のお絵かき掲示板で下手な絵を描くのがひそかな楽しみなんですが、
自分の絵にレスがつくと嬉しい反面、
「なんか気の利いたお礼の言葉を!」
と悶々と悩みこんでしまうので、いっそコメントなぞくれるな、とか思います。
何よりも嫌なのは「あなたの絵にコメントをつけたのだから、私の絵にもコメントをつけなさい」という無言のプレッシャーです。

サイト持ちの絵師やブロガーなら、名無しさんには一度レスすれば終わりですから、お絵かき掲示板でしばしば見られる村社会的な煩わしさはないんでしょうね。

とか考えてこの記事を読んでいたら、
お絵かき掲示板で「コメント下さい!」と言い出す方々は、何故好き好んで面倒なご近所づきあいの輪に組み込まれたがるのか、気になってきました。なぜだー。お世辞の言い合いになっても意味ないって。

というのが、この記事に関する私の一連の思考です。
記事の話題と噛み合いつつ新たな知見に満ちたコメントなんて、そう浮かばないし、おかしなコメントをして先方を困惑させるくらいなら無言の方がマシだ、という感覚がすごいありました。
コメントしないのは優しさなんだよ! と言ってみる。

結構迷いましたが、せっかく書いたのでコメント投稿しときます。

_ だい(Dai) ― 2006/03/26 08:40

どもです。

>なぜだー。お世辞の言い合いになっても意味ないって。
 自分も、お絵かき掲示板ではないんですけども、昔絵のメーリングリストなどに入っていたころに、同じようなことを感じました。
 一見、それぞれ感想を言って活発なように見えるのですが、どうもなにかが違うなぁっと。そのときは、だいたいの絵に目をとおし、自分の絵を出すよりも多い数の感想を書いてたような気がします。でも、実際に得たものって、あまりなかったような気がするんですよね。
 まぁ、自分の動き方もマズいところはあったのでしょうけども。


>コメントしないのは優しさなんだよ! と言ってみる。
 やさしさというか、それも一つの反応、って捉え方もあるかなと。今って単にうまい方は、それこそ多いと思いますけども、それとコメントを付けたくなる絵って別な気が。

 それと、小さな絵を描く人向けのSNSで、見た話に「絵をコミュニケーションの手段としてみてる人がいる」というのを見ました。おそらく、その手の「コメントが欲しい!」という方は、絵を通して話がしたいというか、絵をきっかけに話がしたいとか、もしくは単に反応が欲しいだけなんかな?と。

#そんなに褒め言葉が欲しいか?ん?、ン~~~?って、極端に邪推したくなるときありますが(ぉ。

 おそらく社交辞令だけの応酬になったとしても、↑のように絵をコミュニケーションの手段などと考えている人たちは、その社交辞令だけのやり取りでも単純に、自分自身にとって意味のあるコミュニケーションとして受け取ってるんじゃないかなと>それが例え傍から見て、ムラ社会的に見えたとしても。

 ここらへんを考えると、まぁコメントというか、絵やコミュニケーションに対する個人の考え方の差というか、温度差でそういう光景が出来ちゃうのかなぁって思いますが。

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