もどかしさ2007/07/21 20:26

↑読んで、ボクはここに書いてある「くりえいたー」というものにはなれない気がした。なんとなく。

なんかこう、言葉にならない気持ちの悪さを感じるのは、自分がおかしいんでしょうか…

コメント

_ 濱口よしたか ― 2007/07/22 13:39

発想を邪魔されたくはないけど、こういう装置に発想を想起させて欲しいとも思いませんねぇ。
そういうのと連携して何か発想する…というと、なにか神林長平的SFな共生体な気もして、creatorといより、creature?(^^;
究極的には、紙と鉛筆のような存在であればいいと思います。

_ だい(Dai) ― 2007/07/22 19:22

 ああ、そうだ。
 なんか機械に使われているような印象を持ったからかもしれません。>気持ち悪い

 共生体ってのは面白いなぁ。でもこのまま技術が発達したら、人間単体で使えなくなりそうだから、インプラント的なものが出てくるかもしれないですね(笑。

>紙と鉛筆
 よくよく考えなくても、まだPDAだとかは手帳とペンには勝てないとこ多いですよねぇ。汎用面や取扱いで。
 そもそも電池が切れた程度で、まったく用を足せなくなるなるんですから。

_ 安地草 ― 2007/07/22 23:39

「操作した感触がチンタラしてやがるぜ!」ってだけの理由から、
その理由にある程度の正当性を持たせるための別の理由をくっつけてるだけで
発想うんぬんてところは著者以外の人がどうこう言う部分ではなさそうな記事ですな。
ちなみにボクは、「機械に使われている」としても、気持ち悪さは感じません。

人間、そうそう自分以外にはなれません。
人類史上最高の役者がいたとしても、そのひとは他人にはなれません。
そして作品というものは、作者がだれでもかまわんのです。

クリエイターってのが、何をクリエイトするのかは分かりませんけども、
あちこちでたまに見かける「自分自身を表現する」なんて言葉を見ますけども、
逆に考えて自分自身以外を表現することができんのか?って思いますし、
優れた臨床心理士であっても絵を数枚みたぐらいで相手のことなんて分析しきれませんので、
だから、
自分自身からは絶対にはずれることはできない事と、
自分自身が表現できたとしてもそれを見て取れる相手などまずいない事の
二つの事が分かってるのが、俺はクリエイターつーか、作家じゃねえかな、と思います。

なんか話がずれましたけども z(・3|

_ だい(Dai) ― 2007/07/22 23:54

 ちょっぴり激しいですな|・)σ

 機械の操作と創作性を絡めているってのも、なにかが違うなぁって思ったんですけども。そういう理由づけだけ、と読めばそれだけのことなのかなぁと。

 それと

>自分自身からは絶対にはずれることはできない事と、
>自分自身が表現できたとしてもそれを見て取れる相手などまずいない事

 ↑ここ、うまいまとめ方だなと素直に思いました。

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